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バルセロナの歴史をわかりやすく解説|ローマ時代・ガウディ時代・現代まで【2026年版】

ゴシック地区に眠るローマ遺跡、ガウディが活躍した19世紀の近代化運動、フランコ独裁とカタルーニャの抵抗——バルセロナの2000年を時代ごとにわかりやすく解説。歴史を知ってから旅に出ると、街の景色がまったく変わります。

バルセロナのゴシック地区に残るローマ時代の遺跡と中世の大聖堂
Photo by tabigaudi

「バルセロナってどんな歴史がある街なの?」

Diegoに聞くと、少し考えてからこう言いました。「バルセロナはスペインじゃなくてカタルーニャの街だ。それがわかれば、ほとんど全部わかる」。

街を歩いていると、スペイン語とカタルーニャ語が混在している。赤と黄色の縞模様の旗(カタルーニャ旗)があちこちに掲げられている。1882年に着工したサグラダファミリアが2026年6月についに完成した。ゴシック地区に2000年前のローマ遺跡が残っている——これらすべてに、バルセロナの歴史が絡んでいます。

歴史を知ると、観光がもっと面白くなります。


年表で見るバルセロナの歴史

時代主な出来事
紀元前15年頃ローマ人が植民都市「バルシノ(Barcino)」を建設
5〜8世紀西ゴート族支配、その後イスラム勢力が一時占領
801年フランク王国(カール大帝)がバルセロナを解放
9〜12世紀バルセロナ伯国として繁栄。カタルーニャの原型が生まれる
1137年アラゴン王国とカタルーニャ伯国が合併。地中海帝国へ
15世紀アラゴン+カスティーリャ統合でスペイン王国が誕生。カタルーニャの地位が後退
1714年スペイン継承戦争でバルセロナが陥落。カタルーニャ自治権が剥奪される
19世紀後半産業革命・人口爆発・モデルニスモ(建築・芸術の黄金時代)
1888年バルセロナ万博開催。都市として世界に注目される
1936〜39年スペイン内戦。バルセロナは共和国側の拠点として戦う
1939〜75年フランコ独裁政権。カタルーニャ語・文化が弾圧される
1975年フランコ死去。民主化・カタルーニャ自治権回復
1992年バルセロナ五輪開催。観光都市として世界的に変貌
2017年カタルーニャ独立住民投票。政治的緊張が続く

ローマ時代:バルセロナの起源「バルシノ」

バルセロナの歴史は紀元前15年頃、ローマ人が植民都市「バルシノ(Barcino)」を建設したことに始まります。

今のゴシック地区がその場所で、当時の城壁の一部は現在も残っています。ゴシック地区を歩いていると、ところどころにローマ時代の石柱や城壁が現れるのはそのためです。バルセロナ大聖堂の地下に整備されたバルシノ博物館(MUHBA)では、ローマ時代の遺跡が地下空間にそのまま保存・公開されています。

「2000年前の床の上を歩いている」という感覚——ゴシック地区の路地で感じられる特別なものです。


中世:カタルーニャ伯国と地中海帝国

ローマ帝国の崩壊後、バルセロナは西ゴート族・イスラム勢力の支配を経て、801年にフランク王国のカール大帝によって解放されます。

その後、バルセロナ伯(Count of Barcelona)が支配するバルセロナ伯国が成立。9〜12世紀にかけて、カタルーニャの文化・言語・法律の基盤が形成されていきます。

1137年、バルセロナ伯ラモン・ベレンゲール4世とアラゴン王女の婚姻により、カタルーニャとアラゴンが合体。「アラゴン・カタルーニャ連合王国」として、中世地中海の大国に成長します。シチリア・サルデーニャ・ナポリまで支配した「地中海帝国」の中心都市がバルセロナでした。

この時代の繁栄の象徴が、ゴシック地区に残るバルセロナ大聖堂(1298年着工)やサンタ・マリア・デル・マル教会(1383年完成)です。


15世紀〜18世紀:スペインへの統合とカタルーニャの苦難

1469年、アラゴン王フェルナンドとカスティーリャ女王イサベルの結婚によってスペイン王国が誕生。同時期にコロンブスがアメリカを発見し、大西洋貿易の時代が始まります。

ここでカタルーニャにとって不幸な転換が起きます。アメリカとの貿易独占権はカスティーリャ(セビーリャ・カディス)に与えられ、地中海を舞台にしていたカタルーニャは経済的に後退。バルセロナは「スペインの中の辺境」的な位置に追いやられていきます。

さらに決定的な打撃が1714年のスペイン継承戦争です。バルセロナはオーストリア・ハプスブルク家を支持してフランスのブルボン王家と戦いましたが、1714年9月11日にバルセロナは陥落。フェリペ5世の報復によりカタルーニャ語・カタルーニャの自治・法律がすべて禁止されます。

9月11日(ラ・ディアダ)が現在もカタルーニャの「ナショナルデー」として祝われているのは、この陥落の日を忘れないためです。バルセロナに来てこの日を知ると、旗の意味が違って見えてきます。


19世紀:産業革命とモデルニスモの黄金時代

19世紀、スペインで最初に産業革命を経験したのはカタルーニャでした。工場が建ち、人口が急増し、バルセロナは一気に近代都市化します。

人口増加に対応するため、1859年に都市計画家イルデフォンス・セルダが設計したエイシャンプラ(Eixample)地区の拡張計画が実施されます。今もバルセロナの中心部に残るあの碁盤目状の街並みがこの時に作られたものです。角を八角形に切り取ったブロック配置は、通風・採光・人の流れを計算した合理的な設計で、現在もその機能を保っています。

この時代にカタルーニャでは「レナイシェンサ(Renaixença)」と呼ばれる文化復興運動が起き、禁じられていたカタルーニャ語・文化が復活していきます。

そしてこの動きと連動して生まれたのが、19世紀末〜20世紀初頭の建築・芸術の黄金時代「モデルニスモ(カタルーニャ・モデルニスモ)」です。

アントニ・ガウディはその筆頭格。カサ・バトリョ(1906年)・カサ・ミラ(1912年)・パルク・グエル・サグラダファミリア(1882年着工)——これらは全て、この時代のカタルーニャのエネルギーから生まれました。

なお、サグラダファミリアは着工から144年を経た2026年6月10日、ローマ教皇レオ14世がイエス・キリストの塔を祝別・開幕式を執り行い、ついに完成しました。ガウディの命日(1926年6月10日)のちょうど100年目という、象徴的な日付です。

ガウディの建築が「スペイン建築」ではなく「カタルーニャの建築」である理由が、ここにあります。

1888年のバルセロナ万博もこの時代の自信の表れで、バルセロナが世界都市として登場した瞬間でした。


20世紀前半:共和国・内戦・フランコ独裁

20世紀初頭、バルセロナはヨーロッパで最も革命的なエネルギーを持つ都市のひとつでした。労働運動・無政府主義運動が盛んで、「爆弾の街」とも呼ばれた時代があります。

1931年にスペイン第二共和国が成立し、カタルーニャは自治権を獲得。しかし1936年に軍部のクーデタがスペイン内戦を引き起こします。

バルセロナは共和国側(人民戦線)の拠点として戦い、1939年1月にフランシスコ・フランコ率いる国民軍に陥落。ジョージ・オーウェルの『カタロニア讃歌』は、この内戦のバルセロナを描いた名著です。

フランコ独裁政権(1939〜1975年)下では、再びカタルーニャ語・文化が徹底的に弾圧されます。学校教育はスペイン語のみ、カタルーニャ語の出版は禁止、カタルーニャの旗を掲げることも許されませんでした。


1975年以降:民主化と復活

1975年にフランコが死去し、スペインは民主主義へ移行。カタルーニャは1979年に自治州としての地位と自治権を回復します。

カタルーニャ語は復活し、学校でも教えられるようになりました。今のバルセロナの街頭でカタルーニャ語が聞こえるのは、この回復の結果です。

そして1992年バルセロナ五輪が街を変えました。老朽化していた港湾エリアが再開発され、バルセロネータのビーチが整備され、サグラダファミリアが観光客に広く認知される——バルセロナは一気に世界的な観光都市になります。

Diegoの両親の世代は「92年五輪前と後では、バルセロナが別の街になった」と言います。


カタルーニャ独立問題:現代のバルセロナ

2017年10月、カタルーニャ自治州政府がスペイン中央政府の禁止命令に反して独立の住民投票を実施。賛成票が約90%を占めましたが、スペイン政府はこれを違憲として認めず、州政府首脳を逮捕・国外追放しました。

その後も独立運動と中央政府の対立は続き、バルセロナでは毎年9月11日(ラ・ディアダ)に大規模なデモが行われます。

旅行者として訪れる分には政治的な影響はほとんどありませんが、バルセロナの人々にとっては日常の問題です。「カタルーニャはスペインから独立すべきか?」は、バルセロナでは今も非常にセンシティブな話題です。


歴史を感じる観光スポット

ゴシック地区(Barri Gòtic)

ローマ時代「バルシノ」の中心部がそのままゴシック地区になっています。路地を歩くとローマ時代の石柱・城壁・中世の建物が共存している、世界でも稀有なエリアです。

バルシノ博物館(MUHBA):地下でローマ時代の街が発掘・公開されています。バルセロナ市庁舎広場の地下からアクセス可。

バルセロナ大聖堂(Catedral de Barcelona)

ゴシック様式の大聖堂。現在の建物は1298年に着工し、完成まで150年かかりました。内部の回廊には13羽の白鵞鳥が飼われています(聖ユーラリアにちなむ伝統)。

サンタ・マリア・デル・マル教会(Santa Maria del Mar)

「海の聖母」教会。中世カタルーニャの貿易で栄えた港湾労働者たちが自ら石を運んで建設した教会として知られます。ゴシック地区の大聖堂より簡素で力強いゴシック様式が印象的。カルロス・ルイス・サフォンの小説『風の影』の舞台にもなりました。

ガウディ建築群

19世紀末〜20世紀初頭のモデルニスモ時代の遺産。カサ・バトリョ・カサ・ミラ・サグラダファミリア・パルク・グエルがユネスコ世界遺産に登録されています。サグラダファミリアは2026年6月についに完成し、高さ172.5mで世界一高い教会となりました。詳しくはサグラダファミリア完全ガイドをご覧ください。

パラウ・グエル(Palau Güell)

ランブラス通りの裏手にある、ガウディが初期に手がけた邸宅。現在は美術館として公開されています。サグラダファミリアより地味ですが、ガウディの原点を見られる場所です。


歴史を知った上でバルセロナを歩く

バルセロナは「観光地」の集合体ではなく、2000年の重みを持った生きた都市です。

ゴシック地区の路地で感じる時間の厚み。エイシャンプラの碁盤目を歩きながら思う19世紀の都市計画。サグラダファミリアを見上げながら想像する、ガウディが生きたあの時代のカタルーニャのエネルギー。街に掲げられた赤と黄色の旗の意味。

同じ建物を見ても、歴史を知っている人には違う景色が見えます。バルセロナはそういう街です。


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